白いクレヨンで描く未来

先日、30歳になりました。

(今回とても長いので、暇な時に読むか、或いは全く読まないかを強くおすすめします)
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ブログを始めたのは遡る事高校2年生、16歳のこと。2005年です。

つい半年前までは見ることが出来たそのHPも、ついにサービス提供者(旧00ホームページ・現ecaco)が2018年6月にクローズしてしまい存在自体が消去。
大切な思い出でしたが、もう誰一人として閲覧することは叶わなくなりました。



当時、高校のクラスメイト達と「ホームページを作ろうぜ!」となり、00ホームページと言うサービスを使い各々の好きなことをホームページにしたのがその始まり。
・池袋ウェストゲートパークに関するHPを作ったヤツ
・堀北真希に関するHPを作ったヤツ
・みんなの交流チャットを目的に作ったヤツ
・バレーボールに関するHPを作ったヤツ

思い出せるのはここまでですが、もう数人いました。

そんな中、若干16歳の私はと言うと…―――
・エロサイトを作ったヤツ

これが私のネット活動の始まりでした。

当時はまだネットでスケベな画像を探すことにそれなりの面倒さがありましたが、若き日の私はその旺盛な性欲をエネルギーに収集してはロックが掛けられる携帯のフォルダに隠し持っていて。
それを放出していくのがそのエロサイトで、高校生の興味のベクトル的理由から仲間内での最たる人気を誇ってしまい、HPを作っていなかったクラスメイトや部活の仲間にも広がっていき、愉快で性春な高校生活を送っていたものです。

そのHPの機能の一つに有ったのが"日記"と言う機能でした。
(当時はまだブログと言う言葉がなかった)

不真面目でお調子者(今もあまり変わらない)だった私としては当時有り余っていたユーモアを発散させたい面もあり日記の執筆を開始。
その後500日以上、高校を卒業し大学に入学したあとも少しの間、毎日連続で書き続けたのが"卍阿修羅日記卍"、私の最初のブログであり、ルーツです

阿修羅日記ではその日に見つけた面白いことを書いたり、友人らとのバカなやり取りを書いたり、当時の彼女とのイザコザを書いたり…
半年前に読み返した時にもクスリと笑えるものがあったので、当時の友人らが読んでくれていたのもランキングサイトで意外と悪くない順位に居たもの我ながら少し納得できるものでした。

中でも一番笑ったのは、高校時代の元カノが実はネット上でアイドル的な活動(当時の呼称:ネトア)をしていて、私との×××は先っぽしか許してくれなかったのに、そのファンである年上の男性とは密会してバッチリ×××していたのが発覚し多大なる精神的ダメージと共にお別れした話。
この子にはその前にもネット上の相手と浮気され、一度許した経緯があってからのこの事件だったのが男としての不甲斐なさに追い打ちをかけてくれます。
(いずれも相手は成人男性だったので、思い返せば相手は未成年との淫行…その子がしていたのは売春だったのかも知れません)

自分がもっと魅力的な男だったならそんなつらい経験もしないで済んだのかなと思いつつ、それから10年以上経過した今でも魅力的な男に成れていないのが哀しいところ。
"恋人は裏切るけど友達は裏切らない"と言う良くない深層心理が今も自分の中に強く遺っているのは、この経験に起因する所も一部あるのだと自己分析しています。

…さて、話を戻します。



500日以上描き続けた阿修羅日記。

ここで使っている「阿修羅」といまの「ASHLA」は同一の意味合いです。
阿修羅の由来には二つ有って、
・ネトアの前後に好きだった子が集中すると般若のような顔になる子で、それが転じて裏で阿修羅と形容されていた
・当時の自分が部活で身体を鍛えていたのと鬼のようにスパルタな部長だったので、阿修羅と形容された


これをアルファベットでオリジナル表記にしたのがASHLA
そのASHLAを更にユニーク化しようと考えたのがASHLANBOY

ブログのルーツは阿修羅日記、
ASHLA、ASHLANBOYのルーツも阿修羅日記。
今の活動に至るまでの線が収束するのがこの「阿修羅日記」でした。
受験でそれどころじゃないのに書き続けていたのも今となっては良い思い出です。





阿修羅日記を引退した後、今度は2008年12月にライブドアブログを立ち上げました。

ブログ名は"ASHLAの軌跡"。
このブログを"極暖ミートテック"に名称変更する前と同じものです。

オタクとは縁遠かった高校時代とは打って変わって、この頃はオタクに覚醒。
特にハマっていたのが涼宮ハルヒシリーズで、今でも大好きな作品です。
http://www.haruhi.tv/


大学時代の元カノとお別れしたのがその年の10月末、つまりブログ立ち上げは独り身になって1ヶ月くらいの出来事。
今思えば独り身になって時間を持て余していたのかも知れませんね。

ASHLAの軌跡は阿修羅日記とは趣旨を変え、毎日更新ではなく不定期更新にしました。
書くのが必然ではなく、書きたい時に書くと言うスタイル。
内容は阿修羅日記と大きく変わらず日々の事がメインでしたが、無理して書かずのびのびと文字を連ねていったおかけで中には印象的な執筆もあり、"黒髪の君"と言うとある実話エピソードは未だに覚えてくれている友人もいるくらいの超絶ダサいキュンキュンストーリーでした。





その後、livedoorブログでは自由度に限界を感じ引っ越しを計画。

そうして2010年9月に立ち上げたのがこの"極暖ミートテック"です。
2005年の阿修羅日記から数え、早いものでもうすぐ15年。感慨深いです。

この極暖ミートテックを始めた頃はオタクでもPCやインターネットに熱意が向いた方のオタクでした。
Twitterも流行ってきて、mixi以外のSNSが盛り上がり始めた頃ですね。

この頃の自分はTwitterのBOT(自動ツイートシステム)にいち早く着手。
BOTと広告ツイートを組み合わせてアフィリエイトで稼ぐなんて荒業をやって、アフィリエイトで稼ぐなんて嘘だろうと思っていた時代に本当に数万円ものお小遣いを稼いでいたエネルギッシュな大学生でした。
・アニ名言BOT
・芸能人紹介BOT


両方とももう消去したものの、黎明期なその時代に数千人のフォロワーを抱えたり、当時「僕のTwitterアカウントを広めるのは断固NG」と言うスタンスを貫いていた伊集院光さんから、第三者として伊集院さんのTwitterアカウントを紹介する許諾を正式に貰うと言う史上初の快挙を成し遂げたり、「時は金なり」とでも言うべく先駆者としていい波に乗って楽しんでいました。





そんなBOTも、TwitterのAPIルールやBOT規制が厳しくなり始めた初期の段階で引退。
その後はAmazonアソシエイツに登録してブログでの小遣い稼ぎにシフトしました。

今も当時も変わらないのは、
・分からない人に分かりやすいようにする
・ニーズが少なそうなことこと積極的に取り組む

と言う姿勢です。

けれどもAmazonアソシエイツは全然うまくいかず、下記URLの記事くらいしか書かずに放置している感じでした…
http://ashlanboy.jp/blog-entry-18.html

が、執筆した約2年後にアソシエイツの明細を見てみると、なんとその記事で紹介していたメモリが50万円以上売れていたことが判明。
1枚5,000円程のメモリなので、100枚程のメモリが私のブログによって販売されたことになります。
(なお報酬は売上の2~3%なのでお察しください)
また、エゴサーチしてみたらその記事がとても参考になったと言う嬉しいツイートもありました。
これらは大変励みになり、今も糧にしている事の一つです。




そんな極暖ミートテックも自分の中での優先度が下がっていき、ごくたまに書く程度になり、再開したのが2016年8月頃。

理由はとある病気に侵され外出できない事が増え、自宅内での暇な時間が増えたからでした。
きっかけは良い事ではないものの、また一つの趣味として復活出来て今日に至るので良しとしています。
(病気も長い年月賭けてほぼ完治しました!)





そんなこんなで16歳からブログを始めた私。
先日無事に30歳の誕生日を迎えることが出来ました。


人生の目標であった28歳での結婚は叶わず、同じく目標であった30歳での第一子誕生も叶いそうにないのが悔やまれますが、尊敬できる両親、手が掛かるけど何だかんだ可愛い弟、親友、地元の友人、大学の友人、ネット上で知り合った友人などなど、信頼できる人々に囲まれて楽しい日々を送れていることに只々感謝しています。



ただそれでも、私が自分にとっての幸せが何かと考えたとき、私はいまが楽しいとは言えても、いまが幸せであるとは言えませんでした。

人には人それぞれの幸せの形が有って、それが私にとって何なのかを30歳を迎えるにあたり熟考した結果、私は私にいまが幸せかを問うて、その時自分が幸せだと答えられれば幸せなのだろうと結論付けました。

一見すると簡単すぎて、これを見た人の中には嘲笑う人もいるかも知れません。
でも自分の心にナイフを向けてみて、本心で向き合ってみて、そうした時この問いの本当の難しさが分かる人もそれなりに居るんじゃないかなと思います。



その結論に基づいて自らを振り返ってみると、
美味しいものを好きなように食べまくって、仲の良い友人らとバカみたいに遊んで、色々な趣味を愉しんで…それなりに楽しく生きてきたものの、

心に脂汗を流して絞り出た自分の答えは、



どうやら私はまだ幸せではないと言うこと。



勿論前述した楽しい事の数々や大切な人々は自分の幸せを形成する一つのファクターであり今後も必要不可欠なことに変わりありませんが、トータルとして、私は私を幸せだと思えていなかったのです。

これはどうしてか?なぜなんだ?と考えたとき、一番最初に思い付いたのが

「自分の為に生きる事に限界が見えてきた」と。

もう自分の為に生きていくのは十分に経験しました。
だから、我が30代の目標はこうするしかない。
生きて得た沢山の経験を他の人の為に活かさなければならない。
目を背けたり、笑ってごまかしたりしている中にその答えはありました。

私の30代の目標は、信頼できる女性と結婚して、有難く子どもを授かって、自分が生きる意味・頑張る意味を自分自身以外にも見つけて、他の人を幸せにした延長線上で自分なりの幸せに近づいていくことです。

結論に至るまでには逃げ続けた自分との様々な苦悩があり、友人にも聞かせていない、生死に関わるような葛藤があり、もう本当に絞り出してみたところ結局私も人の子だったと言うこと。



白くてもクレヨンはクレヨン。
絵を描けば絵。未来を描けば未来。


頑張ります。
応援していてください。



2018.11.14 - ASHLANBOY

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ASHLANBOY

ブログを始めた頃は大学生だった私も気付けばよき年齢に。
食べ物の撮影は主にSONYのRX100、景色はNIKONのD750、サブはD7000とPanasonic GF1を使用しています。
オススメできるものしか記事にしませんが、★がついたものはその中でも特にオススメ、▲は世間の評判と自分の感覚が合わなかったものとしています。

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